ご利用の環境ではJavaScriptが動作しません。
toni-kun

柴琢治の葬儀の際に撮影された写真です。(唐丹公民館所蔵)

柴琢治の葬儀の際に撮影された写真です。(唐丹公民館所蔵) 柴琢治:柴琢治は1896年(明治29)6月15日の明治三陸大津波の際、大きな被害を受けた唐丹村の人の為に、自宅を開放してけが人を収容し、救援の医師たちが駆けつけるまで不眠不休で手当を続け、村の救済復旧のために奔走しました。そして、1898年(明治31)4月、唐丹村議会の満場一致をもって村長に任命された琢治は、早速村の復興に取り掛かり、小学校・村役場の再建、宅地造成と住宅建設の助成、道路改修工事などを計画。村有林の立木売却を提案し、村の財政再建にあたった。しかし、村の復興はなかなか進まないため、村長の全責任で隣接する国有林のヒバの木、15000本を許可なく伐採し、復興の助けにしました。後に琢治に司直の手が迫ります。しかし、盗伐の発端が被災地復興のための窮余の行為であったこと、また、売却に際して私利私欲が存在しないこと、何より村民の琢治に対する思いから、裁判所側の心証も同情的となり、ついに証拠不十分として釈放されました。